久しぶりに読書感想文を書きたくなった1冊。
私自身も自殺を考えた(る)ことがあり、その経験者の話が読めるとのことで、この本を手に取りました。
本書タイトルにある「私」が12階から飛び降りたモカさんであり、本書はモカさんに取材をした高野氏によって書かれています。
高野氏がモカさんに肩入れしていることが伝わってくる文体をしており、内容の中立性がややかける印象を受けました。
しかし、それだけモカさんの「カリスマ性」や「目指すところ」への熱量が伝わってくる1冊でした。
漠然と「死にたい」ではなく、具体的な自殺計画を考えたことのある方、あるいは自殺の手段を用意したことがある方には刺さるところがある1冊かと思います。
本記事では、本書の内容と感想、そして自殺も考えたことのある私(むねりょ・当サイト管理人)の生死観について書きなぐった記事です。
私と同じような価値観を持つ誰か(特に独身・孤独な方)の頭の整理に、何か役立つことがあればと思います。
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モカという人物について【本書のあらすじ】
モカさんは男性から女性に性転換したトランスジェンダーであり、複数の女装バーを経営する社長であり、子どもの頃からの夢を叶えた漫画家です。
本書では幼少期から現在までのモカさんの半生、周りからどのように見られていたか、そしてなぜ飛び降りたか、生き延びたあとに「お悩み相談」を始めて見えてきたこと、人生を悩む方へのメッセージが綴られています。
「お悩み相談で見えてきたこと」と「人生を悩む方へのメッセージ」の部分が、タイトルにもある「一度死んだ私が伝えたいこと」の根幹となっています。
自殺まで行かずとも、何か人生について悩み辛い思いをしている方は、第9章・第10章だけでも読んでみてはと思います。
第9章と第10章で約30ページですので、1日2ページずつ読んでも半月程度で読み終わります。
もし「モカ」という人物が気になれば、全文読んでみてもいいし、気になるところだけ拾い読みするのもいいでしょう。
やる事が無くなったら空っぽになる
モカさんの経歴を書き出すと特殊な事情が多く、自殺を考える多くの人の参考にならないような気がします。
しかし本書を読むと、モカさんの自殺に起因する出来事は、自殺前の「漫画家」の部分だけです。
私の夢は漫画家になることだった。漫画以外の収入で生活を安定させるために、仕事を頑張って、きっと漫画家になれれば、この社会の何かが変わって幸せになれると、小さなことからのその望みを叶えるために全てをやってきた(中略)書き終えた瞬間に気づいたんです。書き終えたけど、私の願いは叶わなかった。漫画を出したからといって、私が望んでいたファンタジーな、ディズニーのような、誰もつらい思いをしている人のいない夢の世界が訪れるという想像はできなかった。戦争もある弱肉強食で冷酷な世界は変わらない。酷い。もう嫌だと。
「12階から飛び降りて一度死んだ私が伝えたいこと」より
夢を叶えたからこそ、希望を持てなくなった。
モカさんの場合は、「漫画家」という夢らしい夢であるため、贅沢な悩みのように受けるかもしれません。
しかしこの希望が絶望に変わる流れに、大元となる「夢」の大きさ・実現が簡単か難しいか は関係ありません。
チェンソーマンも希望を無くした
この部分を読んだとき、チェンソーマンでも同じようなシーンがあったことを思い出しました。
出典:『チェンソーマン』(藤本タツキ) 第12話 より
チェンソーマンの主人公デンジは、「女性の胸をもみたい」という夢を持っていました。
デンジは悪魔に襲われる女の子を助け、見返りとして(服の上から)胸をもませてもらいます。
もむ前こそ興奮していましたが、実際にもんでみると夢に見ていたほどの高ぶりはありませんでした。
この期待値と現実のギャップは心へのダメージが大きく、場合によっては叶わなかったときよりも叶ったときの方が、心にダメージを受けることがあります。
「夢が叶う」と「幸せ」はイコールの関係ではない……世知辛いですね
私が自殺を考えた(る)とき
今となっては私の頭の中には、自殺の選択肢が常にありますが、初めて真剣に自殺を考えたのは大学4年生のときでした。
当時の私は、幸せだったからこそ自殺を考えました。
今より幸せなときが来るだろうか?
膨らむ将来の不安
大学4年生、周囲が就活を進める中、私は就活をせず下の学年の講義に混じり芝居の勉強を続けていました。
後背にも慕われ、努力が実り、講義の教授が所属しているプロダクションの養成所へ誘われました。
願ってもない話だったため、私は養成所へ行くことをすぐ決めました。
しかし自分で決めたこととはいえ、「不安」は尽きませんでした。
養成所の期間は1年、1年後にはプロダクションの所属オーディションがあり、それに落ちれば時間が経っている分、今より状況が悪くなります。
仮に所属オーディションに受かっても仮所属扱いであり、さらに3年後に本所属オーディション、それに落ちれば大きく時間が経っている分、今とは比べられないくらい状況は悪くなっているでしょう。
もし本所属オーディションに受かっても、声優として売れる人は一握りであり、自分がそこに入る可能性は低いでしょう。
ということが頭を支配してくると、同時に「やる前に負けた時のこと考えすぎ」や「覚悟が足りない」といった思いも強くなり、ますます不安は強くなります。
期待の低い将来を考えるうちに、いつしか「今の内に死ねば幸せな人生で終わるのでは?」と考えるようになりました。
「将来に希望が持てないから今の内に死のう」は珍しくない考え
大学4年生の時に友だちに同じ話をすると、賛同する人はいました。
実際、これに近い理由で中学生が自殺する事件が2017年に起きています。
【参考リンク】さいたま中2転落死 遺書公表 「楽しかった今のことを忘れるのが怖い」(産経ニュース)
自殺した中学生の父親が「よく分からない自殺がある」とコメントしているのが口惜しいです…
私自身は不安が現実となり、夢が叶うことはありませんでした。
そして実家暮らし無職の24歳となり、自殺用のロープを購入しました。
燃え尽き症候群(バーンアウト症候群)
やる事は「心の薪」
本記事で紹介したモカさん、チェンソーマンのデンジは「夢が叶って絶望した」例ですが、当然ながら「夢が叶わなくて絶望する」こともあります。
夢が叶う・叶わないは「結果」の話ですが、結果に関係なく「力を入れていた出来事が終わった」ことで心が空っぽになることがあります。
「燃え尽き症候群(バーンアウト症候群)」と呼ばれる事象です。
「うつ病」と「燃え尽き症候群」は似ていますが、症状としては別物らしいです。
私は専門家ではないため、詳しくはご自身で調べるか、専門の機関へご相談ください。
【参考リンク】<紀要論文>バーンアウトとうつ病(入江 正洋)
もうずっと心は空っぽ
再び私の話ですが、世間や親の目を考えて就職しましたが、労働環境が悪く3年持たずに離職。
転職活動を始めるも、27歳で大したスキルもない状態での転職は難しく、10社連続で落とされました。
たった10社ですが、夢も希望もやりたいこともない「燃えカス」で転職活動をしていた私は、あっという間に心が折れました。
大学4年生で自殺を考えるガラスハートな私が、27歳でうんこ製造機となり、再び自殺を考えるのは自然な流れでしょう。
これが3月のできごとで、新年度前の泣きの1社で受けた会社から内定をもらったことで、ロープの出番はなくなりました。
転職先は幸いなことに良くも悪くもない普通の会社で、その後5年間は普通に働くことができました。
ただしその間もやりたいことは特に見つからず、死んでこそないものの、空虚な人生を送りました。
ただ就職していた5年の間に、自殺の成功率を少しでも上げることを考え、実家を出ることにしました。
せっかくなので、その気になったときに手軽に実行できるよう、マンションの高層階を探し12階に住むことにしました。
ひとり暮らしでやる事が増えたり、好きに使える時間が増えたりすれば考えが変わるかと思いましたが、効果があったのは1年目だけでした。
今はすっかり虚無に戻ってしまいました。
環境を変えるのは、強制的に気分を変える有力な手段です!(私は1年で効果が切れましたが…)
本書にも『メンタルを強くする14か条』の第1条として「部屋を片付ける」が出てきます。
人生なんか考え方しだい
- 自殺は悪いこと
- お金がないと生きていけない
- 人生は死ぬまでの暇つぶしだから、好きなことすればいい
なんてよく聞く言葉は、「生きる続けること」を前提とした言葉と思います。
生き続ける夢も希望もないのに、なぜ無理して生きようと思わなければいけないのか、不思議でたまりません。
「自殺は悪いこと」は、日本を含む世界的で優位な価値観というだけであって、時代を遡ると少数民族や宗教で自死を選ぶ風習は存在しています。
即身仏やミイラがその代表例でしょう。
自殺の風習がある村が舞台、共感がテーマのサイコロジカルホラー映画。
作中で老夫婦が飛び降り自殺する。(鑑賞注意)
独身者には自由と引き換えに独り
独身な私の場合、養う必要がある子どもはいません。
さらに末っ子であるため、親のことを心配する必要もそこまでありません。
よって私の人生を状況だけ見れば、
- お金が無くなったら終わり
- 好きなことも未練もないので、いつ終わらせても構わない
という状況にあります。
もちろん痛いことや苦しいことは私も嫌なので、積極的に自殺しようとは思いません。
しかしこの状況から「好きなこと」や「趣味」を見つけて、わざわざ『死にたくない』という状況を作ろうとも思いません。
悔いのない毎日を過ごしています!
今のままなら、「悔いのない人生」で終われるでしょう!
「いつ死んでもいい」が救い
「いつまで無職でいる気?」とか「この先どうする気?」とか聞かれて、私と同じように辟易している人も多いかと思います。
その問いかけをするような人は「生き続けること」が前提かつ絶対的な正義となっているので、「いつ死んでもいい」という価値観が理解されることはなかなかありません。
ただあなたと同じ価値観の人は、ここにいます。
「自殺を考える自分」を悪者にして、落ち込む必要はありません。
そのことだけでも、この記事でお伝えできればと思います。
自殺するために12階に住んだ私が伝えたいこと
今回は書籍『12階から飛び降りて一度死んだ私が伝えたいこと』の内容と、私の生死観をご紹介しました。
自殺といえば「何か悩みがあったのか?」と思ってしまいがちになります。
しかし「何となく希望が持てないから死にたい」「何もないから死にたい」と漠然とした理由で自死を考える人は、案外多い気がします。
それだけ現代日本の生活に「良くなるイメージ」が不足しているのだと思います。
モカさんや書籍に出てくる悩んでいる人もそうでしたが、自殺を考える人は「〇歳までは生きよう」や「あと〇年間心が変わらなかったら実行しよう」で何年も生き延びるようです。
私も「24歳まで」「27歳まで」「30歳まで」と更新を続け、30歳を超えた今は「死への恐怖を乗り越えられたら」で今を生きています。
本書のタイトルにもあるモカさんの伝えたかったことの詳細は、ぜひ本書を読んでご確認ください。
ここに書くとどうしても一部を省略することになり、モカさんの意図から外れたり言葉足らずになってしまうため、書くことはしません。
モカさんの考えと近くとも異なりますが、代わりに私の視点から、同じように人生に悩む人にメッセージを送りたいと思います。
自殺を常に頭の片隅に置いている、むねりょからのメッセージ
人生100年時代、生きていれば1回、2回、100回、1万回くらい自殺を考えることはあります。
だから「自殺」を考えることは、変わったことではないですし、悪いことでもありません。
「死にたい」と思っても、実際に実行するには勇気が要りますよね。
勇気が湧こうが湧きまいが、お金や食料が無くなったり、健康が損なわれると人間死んでしまうのです。
どうせなら他人のことや死んだ後のことは考えず、死ぬまでの間は自分のために生きてやりましょう。
人生100年時代、無理に長生きしようとするから辛いんです。
適当にケセラセラ、ポガティブかまして暗く明るく活きましょう。
生きたり死んだり、そんな大層なことじゃないよ。
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